アンバランス

あちらではああなのに、こちらではこうなのは何故だ?

自身が優位になるアンバランスを作り出そうとする、一方で劣位にあるものが対抗し解消しようとする、それはヒトにとって大きなモチベーションや発想の源の一つであろう。アンフェアでないなら、これは望ましい。「バランスのとれた発展」は実際には発展を阻害し悪平等を招きやすい。

ただ、製品(プロダクト)におけるアンバランスは提供者側の勝手な争いによるものも多く、無意味な多様性によって空間、時間、思考的に分断される利用者側は被害者である。

文明・文化は多様化と統一を繰り返して成長する。現時点は全般に多様化のフェーズにあるように見える。長期的にはそういう繰り返しなんだと納得しつつ、自分がその激流の中に居るのは疲れる。でも反面、面白い。各レイヤが本質的に多様であるべきものであるなら、選択肢があることは良いことだ。

我々は今、最終的(?)に生き残るIT技術を選別するための実験に参加しているのだと思う。トシを取るとそれについていけなくなるのだろうか。しかしシニアは、クダラナイものが流行っては消えて行くのを見て来た。あれらもやがて消えていくのだろうか。それとも自分が消えるのが先だろうか。

2020-0408 sato@izmoh

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